当山は永禄元年(1558年)に、大阪城の西、現在の天満橋駅近くに小庵ができ、開基光要院日沾上人を第一世として開創されました。京都大本山本圀寺の末寺で、寺格は緋、末寺一カ寺の中本山です。
宝永2年(1705年)、第六世老行院日治上人の代に大阪市の谷町に移転、堂宇が再建建立されました。以来、約350有余年の間、その地で布教伝道が連綿と続きました。
寛政12年(1800年)の鎮守堂、鐘楼堂等の建立に始まり、漸次山内の威容が整い昭和に及びました。
現在、谷町7丁目の交差点東側、楠木通りの道のど真ん中に立っている楠木がありますが、楠木大神と名付けられ御神木として祀られています。その楠木は昭和13年まで当山の境内地にありました。
昭和20年、太平洋戦争で堂宇の一部が大破しました。昭和43年、大阪市都市計画のため、先代龍昇院日宗上人の代に谷町より現在地の八尾市に移転し、本堂、妙見堂、庫裡、客殿等が建設されました。
移転後に檀信徒会館、参拝者駐車場、永代供養塔、歴代上人御廟が順次建立され、現第三十世に法燈が継承されました。
尚、境内には江戸時代に活躍された歌舞伎役者、芳澤あやめの墓碑、また高安古墳群として有名な黒谷1号墳(郡川30号)古墳があり、見学者が来られます。
11月8日、当山で宗祖日蓮大聖人御報恩お会式の行事がありました。
例年、15名近くの大阪市管内第六組の教師にご出仕頂き盛大に行いますが、コロナ禍の中、縮小して私1人でお会式法要をさせて頂きました。
この世情の中、予想以上に多くのマスク姿の檀信徒方々に参列頂き感謝の気持ちでいっぱいです!
平成27年12月に、先代住職の遷化に伴い当山第三十世住職として入寺させて頂きました。
日々の月参り、法事等の法務を中心に、日蓮宗大阪市管内では社会教化事業協会、布教師会の役員を、また八尾市仏教会では役員理事をしております。
文書による布教にも力を入れており、当山では行事毎に寺報『本照寺通信』、年一回 機関紙『光要』を発行しています。
また仏教・人生・煩悩・社会活動・震災関連などに関するブログも積極的に書いています。
平成23年に起こった東日本大震災以降、毎年被災地を訪れ、微力ながら現地の方に少しでも寄り添えるよう活動させて頂いております。
趣味は読書とスポーツ観戦ですが、実際身体を動かすことも好きです。
あと、お酒の席は好きな方です。
以上よろしくお願い致します。